


上杉謙信といえば、虎と竜の戦いという川中島の合戦のドラマが浮かび上がってくる。
武田信玄と戦うこと前後五回、妻も妾さえも持たず、四十八歳の生涯を戦で燃焼させた。
景勝は、父の死後、叔父である謙信の養子となる。その景勝が、関ヶ原戦に敗れ、徳川方より米沢に減封されたのが、米沢上杉家の始まりである。妻は、武田信玄の四女・菊姫で、“本朝二十四孝”の八重垣姫のモデルといわれるほどの賢夫人であった。
名君の誉れ高い家柄であるが、養子の多い家系でもある。すぐれた改革者として高く評価されている鷹山もまた、養子だった。
墓は、広い敷地の中に気ままに建立されていて、大名墓としては不統一もはなはだしい。しかも屋形のもの、普通の石碑、色とりどりである。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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