

北越戦に殉死した米沢藩士、二百八十余名の合同墓地で、遺髪を埋葬してある。
大政奉還後、明治維新の混乱のさなか、まず鳥羽伏見の戦いがあったが、松平容保はこれに呼応せず賊軍となってしまう。
官軍は結集して、米沢、仙台、山形、秋田への討伐に向かう。
いわゆる戌辰戦争である。
奥羽三十余藩が、官軍に敗れたのであった。
このスタイルの墓は、信州の一部にもみられ、珍しい部類に入る。
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