

佐賀・肥前の支配者であった竜造寺は、のちに家臣であった鍋島家にとって変わられる戦国時代の家柄。
両家の争いは「鍋島の化け猫騒動」で有名である。
戦国の終末の頃、肥前の支配者であった竜造寺家は、島津家久に討たれ、
幼君・政家をたてて家臣であった鍋島直茂に頼むが、1607年、竜造寺政家、その子高房ともに死去しすると同時に
実権は完全に鍋島家が握ってしまう。
竜造寺家は、藤原秀家を祖として代々肥前を支配していた。
しかし、上記の悲劇があり、竜造寺家の幼君・政家は病弱でもあったため再興はならなかった。
政家の子・高房も自殺、その孫・季明は江戸幕府に再興願いを出すが、無視される。
このお家再興が中心になって、化け猫騒動が芝居になるほど、お家主家争いは後々まで続いたといわれる。
墓は鍋島家と同じ寺にある。鍋島家が五輪塔で襟を正して建立しているのに対して、竜造寺家は代々自然石である。
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