

西教寺は明智(光秀)家の菩提寺である。琵琶湖に臨む大津に、坂本城(京極高次城主)があり、山側に西教寺があった。
西教寺は、それ自身で城的役割を果していたともいえる。
信長の叡山焼き討ちの時に炎上しており、今の寺は秀吉時代に再建されたものである。
総門はそのまま残っており、これは光秀の寄進のものといわれ、本堂の左側に明智一族の墓群がある。
叡山連峰を背にして、東向きの墓地がつくってある。石は白花崗岩一色で、美しく光り輝いている。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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