

オベリスクとは、もともと古代エジプトの太陽神信仰のモニュメントを指すが、
ここには函館戦で戦死した幕府方の兵、八百余名の霊が眠っている。
この戦いで生き残った榎本武揚と大鳥圭介らが、明治八年に建立したものだ。
明治二年五月十一日、榎本武揚(幕府方副海軍総裁)・大鳥圭介(歩兵奉行)・土方歳三(新撰組)が指揮をとった新政府への総攻撃だが、
五月十五日には惨敗。榎本武揚は旧幕臣を二千余名も従えて蝦夷地に乗り込み独立国家を夢みるのである。
函館は、討幕戦最後の地となった。
これは日本では変わった形の墓である。竿石の台石が洋風なのが興味深い。
碑銘は、中国の故事「義に殉じた者は、三年後には碧(みどり)に化す」に由来する。
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