

五〜六世紀の古代日本、隼人の乱で殺された隼人の霊を慰めるためにつくられた鎮魂碑である。
古事記や日本書紀に出てくる、古代国家の話がもとになっている。
薩摩隼人といえば、薩摩出身の武士や、または広く鹿児島県出身の男性を指す言葉であるが、
もともとは南九州の先祖が隼人族、熊襲族と呼ばれ、勇猛を誇りとしていたことから来ている。
和銅元年に建立されたといわれるが、後年建立されたものというのが一般的である。
いずれにしても、古代人の感覚を今日に伝える遺跡として貴重なものである。
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