
「双葉山はいつ負ける」「双葉山を倒すのはどの力士か」と騒がれた大横綱である。生前の双葉山の名言「勝って騒がれるうちはまだだめだ。負けて騒がれる相撲取りになれ」は、後輩を諭した言葉だが、双葉山の偉業を物語っている。
双葉山は、回漕業を営む父義広の次男として生まれたが、六歳の時右眼を失明。十歳で母を失い、家の手伝いのために学校も休みがちだったという。体だけはずばぬけて大きく、力の強い少年だった。そして、父の事業の失敗をきっかけに、相撲取りになって家計を助けたのである。
それから苦節十一年、昭和十三年に横綱を張るや、まるで不沈艦の如く、六十九連勝の偉業をなした。引退後、<時津風部屋>を起こし、弟子たちの育成に励み、晩年は相撲協会理事長として活躍、五十六歳の生涯を閉じた。
墓は大横綱にふさわしく、広い敷地にデンと建立されている。
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