
1652年(承応1年)に兵庫県の摂津国有馬の扇商の子として生をうける。
前名は岩井半之助、半太夫。
屋号は大和屋で定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字(かきつばた ちょうじ)。定紋の丸に三ツ扇は扇商を営んでいたことが由来となっています。

上方歌舞伎で大活躍する立役で天和のはじめ大坂で名をあげ,大坂岩井座の座本も兼ねる大名跡として知られていた。
1688年(元禄元年)京都では「けいせい玉手箱」で坂田藤十郎と共に活躍し、1689年(元禄2年)座本を兼ね嵐三右衛門とならぶ地歩を築きあげた。
実事を得意とした歌舞伎役者であった。1699年(元禄12年)4月3日死去。48歳。
十代目岩井半四郎まで襲名されていましたが2011年12月25日に死去してからは襲名されていない。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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