
ロイ・ジェームスは、日本のタレント、俳優、コメンテーターである。
出生名はハンナン・サファ。
日本名は1971年に日本国籍取得して六条 祐道、1975年に結婚し湯浅姓となる。
1929年3月9日、東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。
出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたいわゆる白系ロシア人である。
父親のアイナン・サファ(Ainan Muhammad Safa)は、ウラル山脈の西にある都市ペルミ出身のカザン・タタール人(カザン・トルコ人)で、戦後、東京回教寺院(現在の東京ジャーミイ)の導師イマームを勤めたこともある人物であった。
旧制下谷区立竹町小学校(現在の台東区立平成小学校)、旧制郁文館工業学校(現在の郁文館グローバル高等学校)を経て1954年、明治大学商学部商学科を卒業した。
戦後、柔拳(柔道とボクシングの異種格闘技戦を見せる興行)に、ボクサーとして、「ストレート・ロイ」のリングネームで出場していたこともある。
大学在学中の1953年にタレントのE・H・エリックの紹介で、日劇ミュージックホールの舞台で芸能界入り。エリックとともに日本の「外国人タレント」(外タレ)の草分けとなった。
その後は、1955年に成瀬巳喜男監督の『浮雲』に米兵役で出演したのを皮切りに、映画俳優や放送タレントとして活躍、べらんめえ調の達者な日本語を軽妙にこなし、数々のテレビやラジオなどで歯に衣着せぬ辛口トークを展開した。また、CMでも大いに活躍した。
1971年に日本国籍取得して六条祐道を戸籍名とし、1975年、結婚に伴い湯浅と改姓する。
1982年の春頃、体調不良を理由に芸能活動を休業、病気治療に専念する。しかし喉頭がんと肺炎により、同年末の12月29日に53歳の若さで死去した。墓所は、多磨霊園の外国人墓地の一角にあるムスリム(イスラム教徒)墓地にある。
ロイ・ジェームスの意地悪ジョッキー(ロイ・ジェームスのいじわるジョッキー)は、かつて文化放送(後にニッポン放送)で放送されたラジオ番組。
全国ラジオネットワーク番組。通称は「意地悪ジョッキー」。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
タレント・俳優・コメンテーター |
境石 |
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没年齢 |
享年53歳 |
竿石 |
75cm |
所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
木 |
墓の方位 |
北西 |
墓のスタイル |
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正面入り口の方位 |
北西 |
台座 |
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