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東野英治郎

東野英治郎は日本の俳優、随筆家。長男は同じく俳優東野英心。
群馬県出身、実家は日野商人(近江商人)の家系で、出身地とされている群馬県富岡市は家業の造り酒屋(お店:出店)の所在地であり、実際の本宅は滋賀県蒲生郡東桜谷村鳥居平(現蒲生郡日野町大字鳥居平)にあった。
明治大学卒業。同級生には後に阪神タイガースで活躍する松木謙治郎がいる。
マルクス主義に傾倒して、大学卒業後、新築地劇団に入り、本庄 克二の芸名で活躍。
1944年、小沢栄太郎、千田是也らと共に俳優座を結成。以後、舞台のみならず、映画・テレビで活躍した。一方、日本新劇俳優協会会長、俳優座劇場取締役を務めた。
長寿番組であるTBS系列の時代劇『水戸黄門』で、主役の徳川光圀を番組開始の1969年8月4日から1983年4月11日までの足かけ14年、全381回にわたって演じ、「じゃがいも黄門」の名で親しまれた(途中、他の番組と交代している時期もある)。

東野英治郎

1982年7月、高齢による気力体力の減退等を理由に黄門役から降りることを表明し、西村晃にバトンタッチした。
その後も散発的に俳優活動を行っていたが、1994年9月8日、自宅で心不全のため死去。86歳没。その6年後の2000年11月14日に長男英心が父の後を追うように高血圧性脳出血で急逝した。
亡くなった後、テレビ東京で1994年10月5日に放送され、自らがゼネラルプロデュースを務めた『荒木又右衛門 男たちの修羅』が遺作となる。
水戸黄門(みとこうもん)は、水戸藩主で権中納言であった徳川光圀の別称であり、彼が世直しのために日本各地を漫遊したという物語の題名でもある。
かつてはもっぱら、水戸黄門漫遊記(みとこうもんまんゆうき)と呼ばれた。
メディアとしては、講談・歌舞伎・演劇・小説・映画・テレビドラマ・漫画・アニメなどに広く及ぶ。

戒名   玉垣  
職業 俳優・随筆家 境石  
没年齢 享年86歳 竿石 70cm(幅34cm 奥行34cm)
所在地 東京都府中市・多磨霊園 石質 花崗岩
墓の方位 北東 墓のスタイル  
正面入り口の方位 北東 台座 上36cm(幅58cm 奥行58cm)
中38cm(幅82cm 奥行82cm)
下21cm(幅112cm 奥行112cm)
 
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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