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15代目 市村羽左衛門

本名は市村録太郎。
1874年(明治7年)11月5日生まれ。
出生の事情については長らく謎だったが、死後里見怩ェ著書『羽左衛門伝説』の中で「15代目はチャールズ・ルジャンドルと池田絲(いけだ いと)の間に生まれた私生児」だったとする説を発表、現在ではこれが定説になりつつある。
ルジャンドルはフランス生まれのアメリカ人で、南北戦争では北軍の陸軍大佐としてグラント将軍旗下で活躍、戦後除隊した後には陸軍准将に名誉進級されている。その後は外交に転じ、明治新政府の外交顧問として来日、日本の台湾出兵に決定的な役割を果たした人物である。
また池田絲は、旧福井藩主で、四賢侯の一人と謳われ、幕末には幕府政事総裁職、維新後は新政府の議定や民部卿、大蔵卿などを歴任した松平慶永の庶子である。
当時の役者から見れば雲の上の人のような出自だったかもしれないが、そこは混血の私生児として生まれた者の宿命で、数え四つになると14代目市村羽左衛門に養子に出される。厳しい稽古に明け暮れる人生が始まる。
1881年(明治14年) 1月、坂東竹松を名乗って初舞台。
後に2代目坂東家橘を襲名、1893年(明治26年) 7月に10代目市村家橘を襲名。
1903年(明治36年) 10月には15代目市村羽左衛門を襲名した。

15代目 市村羽左衛門の墓

「市村羽左衛門」ほどの大名跡の襲名ともなれば、その口上は9代目市川團十郎を置いて他に人はなく、すべてを彼に任せきりにしていたが、その9代目は襲名披露興行の直前に風邪をこじらせて急死してしまう。
慶事を前にした「劇聖」の死で、幕内は誰が代わりに口上をするのか、そもそも何を言ったらよいのかで、上を下への大騒ぎになる。しかし本人は至って冷静で、初日の幕が開くと、15代目は9代目團十郎の遺影を舞台上手に、そしてやはり半年前に死去した叔父(養父の兄)の5代目尾上菊五郎(13代目市村羽左衛門)の遺影を舞台下手に置いて、本人は團菊の真ん中に座り、そこで一人滔々と口上を述べた。
今日では襲名する本人が締めくくりに何卒宜しくと一言口上を述べることが一般的だが、この当時にあってはそのようなことはもとより、本人の「一人口上」などというのは前代未聞の出来事だったが、15代目はいかにも堂に入った様子でこれが大評判となった。

戒名 玉垣 40cm
職業 歌舞伎役者 境石 20cm
没年齢 1945年5月6日 竿石 72cm(幅28cm  奥行29cm)
所在地 東京都豊島区・雑司ヶ谷霊園 石質 花崗岩
墓の方位 北東 墓のスタイル  
正面入り口の方位 北東 台座 上32cm(幅51cm 奥行50cm)
下41cm(幅75cm 奥行73cm)

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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