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曽我迺家五郎タイトル

 歌舞伎中村一門に入るが、のちの十郎と知り合って、鶴屋団十郎のニワカを見て、十郎と喜劇団<曽我迺家>を結成、旗揚げし、喜劇ブームを呼ぶ人気をえた。明治三八年には東上して、新富座で公演、その後十郎と別れヨーロッパに渡った。帰国後、<五郎劇団>をつくり、新しい分野の演劇を開拓した。
46年にわたる演劇生活中、五郎は一堺漁人の筆名で963篇もの脚本を執筆した。その中でも選りすぐりの36篇を、和歌の「三十六歌仙」をもじって、「三十六快笑」と称した。
大阪市には彼の功績を称え、長谷川幸延氏 撰文の顕彰銘文がある。(以下全文)
『日本の喜劇は、明治37年五郎によって誕生した。もし五郎がいなかったら、それは20年おくれていたろう。そして日本の喜劇は五郎によって定式づけられ、それを破壊して新風を興してと見るべき人はまだ無い。しかも彼は喉頭癌に冒されながら、声なき俳優として無言の舞台に立って死んだ。   昭和42年6月 大阪市』

曽我迺家五郎の墓
戒名 -
職業 明治・大正・昭和期の喜劇役者
没年齢 71歳
所在地 大阪市天王寺区・四天王寺
墓の方位
正面入り口の方位
玉垣 60cm
境石 59cm
竿石 180cm
石質 花崗岩(白石系)
墓のスタイル 自然石を表面加工
台座 高さ45cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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