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横山やすし

横山やすし

本名は木村雄二。愛称は「やっさん」
1944年高知県生まれの元吉本興行所属伝説的漫才師。
素人参加番組「漫才教室」に少年時代に出場し才能を開花。担任の高校進学を拒否し中学卒業後、松竹新演芸に入社。当時同級生と「堺伸スケ・正スケ」を結成し少年漫才師としてデビュー。
その後、横山ノックへ弟子入り。厳しい弟子修行に従事した後、師匠・ノックより「横山」の名を受け「横山やすし」として日本一の漫才師を目指す。数回のコンビ結成〜解消を経て、1966年に西川きよしと「やすしきよし」のコンビ名でデビュー。漫才ブームも重なり人気者となる。動きのある形は当時の漫才界の新しい風となり20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。しかし短気な性格と破天荒な生き方は、数々のトラブルを起こし、何度も窮地を救った吉本も堪忍袋の緒がきれ解雇する。しばらくの間芸能界から遠ざかる事になる。1992年に芸能界復帰後、活躍場を「Vシネマ」に移したり、第16回参議院選挙の比例代表区に立候補するもの落選。さらに謎の暴行事件で重傷を負い、表舞台から姿を消す形になった。
1996年1月21日の夜、自宅で意識を失い、病院へと搬送されたが既に心臓と呼吸が停止しており、意識不明のまま急逝。51歳没。死因は「アルコール肝硬変」。 愛艇がおいてある宮島競艇場にて「散骨の儀」が行われ、船上から遺骨の一部が散骨された。墓は大阪府河内長野市の「南大阪霊園」にあり、墓石の横に「俺は浪花の漫才師」のジャケット写真と歌詞の一部が刻まれた石碑が建っている。


戒名 満寳院釋雄師 玉垣  
職業 漫才師 境石  
没年齢 平成8年1月21日  51歳 竿石  
所在地 大阪府河内長野市・南大阪霊園 石質 白御影石
墓の方位 墓のスタイル 五輪塔
正面入り口の方位   台座 蓮華台

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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