

兵庫県神戸市出身の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家である。
幼い頃から親の影響で映画に精通しており。中学生の時には映画の素晴らしさを先生に説き、淀川が選考した映画を全校生徒で鑑賞をする企画を通した。
1927年に日本大学入学を機に上京したがまもなく中退。
そのまま映画世界』雑誌編集部に入社し編集者となる。
その後UA(ユナイテッド・アーティスツ)の大阪勤務した際、来日したチャップリンとの会談に成功し、チャップリン評論家の第一人者とされた。
その後、映画解説者・映画評論家として活動を開始。
1966年開始の『日曜洋画劇場』の解説者として活躍。やわらかい口調、「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」など独特の表現、そして番組最後の「さよなら、さよなら、さよなら」の名台詞で大衆の心を掴み、映画評論=淀川長治の地位を築く。
豊富な映画の知識とやわらかいが鋭い批評で1998年11月11日に亡くなるまで精力的に活動をした。
最後の解説は『ラストマン・スタンディング』。
淀川がモットーとした三か条は
『他人歓迎』
『私はいまだかつて嫌いな人に出会った事が無い』
『苦労よ来い』
これはいまだに『映画の友』友の会のスローガンでもある。
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