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八代目片岡仁左衛門

八代目片岡仁左衛門

江戸時代の人気の歌舞伎役者。

七代目市川團十郎(初代市川新之助)弟子となり養子となる。六代目市川新之助として子供芝居の舞台に立つ。
のち團十郎離縁、三升岩五郎と改名する。二代目嵐璃寛の門に入り嵐橘次(橘次郎とも)と改名。
京都での芝居で七代目片岡仁左衛門に実力を認められ、天保4年 (1833) 養子となり片岡我當を襲名。
京坂の舞台で若手の色立役として力をつけ活躍した。天保9年 (1838)、二代目片岡我童を襲名。
容貌が美しく、八代目市川團十郎に面影が似ているため、荒事で鳴らした團十郎に対して「綿入りの(穏やかな)團十郎」と渾名された。
安政4年 (1857)、八代目片岡仁左衛門を襲名。立役から敵役老役、女形と幅広い役を演じまた時代物、世話物に長じ、所作事も得意だった。
上方狂言の世話物を得意としており「廓文章」の藤屋伊左衛門、「恋飛脚」の亀屋忠兵衛、『伊勢音頭』の福岡貢、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助、高師直、加古川本蔵、『馬切り』の織田信孝など多数当り役がある。
舞台において発病し文久2年 (1862) 秋に帰坂、同地で死去した。
墓所は大阪の薬王寺にあり。九代仁左衛門(八代仁左衛門の養子)、十代仁左衛(八代仁左衛門の三男)を合祀する。

引用:「片岡仁左衛門(8代目)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2010年3月4日 (木) 21:00 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

戒名 龍頴院我乗日環信士 玉垣  
職業 歌舞伎役者 境石  
没年齢 文久3年2月16日  54歳 竿石  
所在地 大阪市中寺1丁目・薬王寺 石質 御影石
墓の方位 墓のスタイル 合祀墓
正面入り口の方位   台座  

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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