

池田市出身の江戸中期に活躍した力士。
宝暦5年(1755)に藤島部屋に入門し、翌年の1756年に初土俵を踏んだ。
最高位は小結ながらも、相撲巧者であり、さらに人柄が人気を呼び、後に浄瑠璃「関取千両幟(のぼり)」の主人公のモデルとなったほどである。千田川との取組人気があり、二人の取り組みがある日は札止めになることもあった。天明6年(1786)に引退。年寄 初代「猪名川(現:安治川)」として、大坂相撲の発展に貢献し寛政12年(1800)62歳で没した。猪名川は十代続いたが、東西合併の折、廃家になりました。昭和17年、大坂相撲の5名跡を復活した折、稻川(いながわ)の名跡と同音であるため、安治川と改称された。
大阪に二つお墓があり、もう一つのお墓は 西光寺(大阪府池田市新町)に存在する。
猪名川(いながわ)は江戸時代から大正時代に活躍した大阪相撲の年寄名跡のひとつです。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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