
日本の各家庭にテレビが普及してもう久しいが、そのブームを作ったのが、皇太子殿下の御成婚と、この力道山プロレスの登場だったとされている。大人から子供まで、プロレスが大ブームとなった。
まさしく力道山は時の英雄だった。ショーとしても、ワザとしても“空手チョップ”は偉大な発明だった。社会心理学者などは、この力道山のブームを「敗戦に打ちひしがれた国民の鬱憤の吐きどころだ。戦後の精神的功労者をあげるなら、水泳界の古橋、橋爪に力道山は匹敵するだろう」と持ち上げていたほどだった。
力道山は気性の激しい努力家だった。三歳のとき父に死なれ、母親の手で育てられた。細々と農業で生計をたてていた母親を、いつか幸福にしてやろうと小さいときから思っていたという。
頑丈な体格で人並み以上に大きかった彼は、十七歳で角力界に入ったが、肺臓ジストマにかかり、転落したのを機に角力界を去った。それから背水の陣でプロレス入り、昭和二十七年二月、ハワイに渡った彼は、名トレーナー沖識名についた。そこで体得したのが必殺“空手チョップ”だった。
だが、末路はあっけなかった。英雄といわれ、富と名声を得た彼が登山ナイフで刺され、この世を去った。若くて美しい、再婚したての妻に子を宿したまま、あっけない幕切れとなった。
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