
本名・河村藤雄。屋号は成駒屋。
1917(大正6)年、5代目歌右衛門の次男として生まれる。
1922(大正11)年に新富座「真田三代記」の内記役で3代目中村児太郎として初舞台を踏む。
16歳の時に6代目中村福助、24歳で中村芝翫、34歳で中村歌右衛門を襲名。
以後も映画やテレビドラマには一切出演せず、舞台一筋に芸を磨いた。
当たり役は「籠釣瓶花街酔醒」の八ツ橋、「先代萩」の政岡、「隅田川」の班女、
「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子などで人気を博し、時代物、古典舞踊の名手として後進の指導に尽力した。
1964(昭和39)年史上最年少の46歳で日本芸術院会員に選ばれ、1968(昭和43)年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に、
1972(昭和47)年に文化功労者、1979(昭和54)年に文化勲章を受章。
1996(平成8)年には芸能界では初の生前受章となる勲1等瑞宝章を受けた。71年から99年6月まで日本俳優協会会長。
1996(平成8)年8月に出演した舞踏公演「関寺小町」が最後の舞台となった。
2001(平成13)年慢性呼吸不全のため東京都の自宅で死去。享年84歳。天性の気品と美貌に加え、役の心理を深く表現する演技力は世界でも絶賛された。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
歌舞伎俳優 |
境石 |
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没年齢 |
84歳 |
竿石 |
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所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
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墓の方位 |
東 |
墓のスタイル |
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正面入り口の方位 |
北 |
台座 |
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