九代目市川団十郎が、当時の歌舞伎でいかに重きをなしていたか。彼の葬儀の模様を伝える記事が、それを証明している。「天も哀悼の意を表しけんしと降る秋雨は蕭条としてもの哀しく・・・俳優の泰斗、日本随市川団十郎事堀越秀の亡骸は・・・昨日青山へ葬送されたり、満都の好劇家は歔欷流涕して梨園の前途を案じ・・・」かくの如く、団十郎の死は明治劇界における大きな損失だったのである。
さて団十郎の演技は“入神の演技”とも“伎芸絶妙”とも称され、最大級の讃辞を与えられている。どんな役でもこなし、自ら創始した活歴劇と腹芸では、他の追随を許さなかった。さらに、俳人としても優れ、紀行文などの随筆にもなみなみならぬ才を示していた。すこぶるつきの多芸多才ぶりである。
墓は“市川家の墓”となっていて、歌舞伎役者として死去したといえるかもしれない。“堀越秀”はどこに眠っているのだろうと思わせる。
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