
人間の運命というのはわからないものだ。維新前夜の両巨頭、官軍は西郷隆盛、江戸は当の勝海舟、江戸明け渡しの会見で、
「西郷さん、江戸はもう徳川のものではない、日本の首都だ。それでもあなた、攻めるとおっしゃるか」
「わかり申した。勝殿の御意見、わたしの考えとして、総督府の連中にお伝え申そう」
と、語りあった間柄だが、それから十年後は反乱軍の首魁として、西郷は鹿児島の城山に露と消えた。海舟は七十七歳まで生きのびた。
幕末の血で血を洗う権力闘争のなか、日本の未来を見通し、革命の志士でもなく、偉大な軍人でもない海舟が、江戸無開城をやってのけたスケールの大きさ、その奇才ぶりに、人々は共感を覚えるのだろう。
が、偉人は人間の恥部のスケールもまた壮大であった。海舟は自宅において堂々と妻妾を同居させていたのであった。全男性のうらやむ世界をやってのけている。海舟は<おれの家に波風一つ起きないのは、あれの偉いところ>と、正妻たみを持ち上げている。ひとりよがりの論理で四人の妾がいた。
晩年は、子供たちの不幸に悩み続け、その上、孫の非行にも見舞われ、孤独な生活だったという。
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