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松岡洋右

松岡洋右は、1880年(明治13年)に山口県熊毛郡室積村(のち光市室積)にて、廻船問屋の四男として生まれる。
外交官、政治家。13歳で渡米し、苦学してオレゴン州立大学を卒業。
帰国後外交官となり、中国、ロシア、アメリカなどに勤務した。
1921年(大正10年)南満洲鉄道株式会社の理事、1927年(昭和2年)に副総裁となる。

松岡洋右

1930年(5年)衆議院議員に当選。国際連盟総会に主席全権として派遣され、1933年(8年)満州国に関する決議案に反対して退場、連盟脱退に至った。
1935年(10年)満鉄総裁に就任。第2次近衛内閣の外相となり、1940年(15年)に日独伊三国同盟、1941年(16年)日ソ中立条約を締結。
敗戦後は、A級戦犯容疑者としてGHQ命令により逮捕され、周囲に「俺もいよいよ男になった」と力強く語り、巣鴨プリズンに向かった。しかし、結核悪化のため極東国際軍事裁判公判法廷には一度のみ出席し、罪状認否では英語で無罪を主張。
1946年(昭和21年)6月27日、駐留アメリカ軍病院から転院を許された東大病院で病死。
66歳であった。
辞世の句は次のとおり「悔いもなく 怨みもなくて 行く黄泉(よみじ)」であった。

戒名   玉垣  
職業 政治家 境石 27cm
没年齢   竿石 52cm(幅64cm 奥行30cm)
所在地 東京都港区・青山霊園 石質 花崗岩
墓の方位 墓のスタイル  
正面入り口の方位 台座 37cm
(幅87cm 奥行54cm)
芝10cm
(幅120cm 奥行84cm)
 
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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