百姓の倅から第一級の総理になる。時代が生んだ希有な人物だ。
帝国憲法の草案者で、初代内閣総理大臣であったことは、わたしたちもよく知っている。
また「英雄、色を好む」のたとえ通り、女性関係のエピソードも多く、艶っぽい話が たえなかったという。とうとう馬関芸者の小梅を第二夫人に迎え、花柳界の人気高揚に力をかした。
また遊泳術の天才で、彼が首相になれたのも、スキだらけの人物をよそおって先輩に引き立てられたからこそである。
木戸孝允、岩倉具視、大久保利通らの友人、先輩の高杉晋作、井上馨が彼を支えた。激動期の維新は彼のような人物の登場を待ったのだろう。
六十九歳、ハルピン駅頭で狙撃されて死去したが、自分の生涯を思い通りに生きた人物だったといえるだろう。
墓をみると、まず墓地の広さがすごい。“伊藤家の墓所”と記され、辺りを支配するかのように、墓もまた大きい。
墳墓型の墓石として建立されている。博文のエネルギーを感じさせる墓である。
戒名 |
- |
玉垣 |
75cm |
職業 |
明治時代の指導的政治家 |
境石 |
1段110cm・2段20cm |
没年齢 |
69歳 |
竿石 |
143cm |
所在地 |
東京都品川区・伊藤家墓所 |
石質 |
白石系とコンクリート |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
奇型 |
正面入り口の方位 |
南 |
台座 |
奇型 |
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1987年現在の資料に基づいております。