

島津斉彬がいなかったら、彼自身が育てた薩摩藩の偉才・西郷隆盛をはじめとする明治維新前後の傑物は現れなかったかもしれない。
文明の先取りにかけては第一級の人物であった。藩政改革に尽力し、幕府の目を盗んで製錬所や機械制工業を経営。
大砲や火薬などの武器類以外にも、ガラスや陶磁器、アルコールなどを作った。
電信やガス灯の実験まで行い、日本で始めて肖像写真をとらせたというエピソードも残っている。
いかに進取の気性を持った藩主だったかが推察される。
日本の外様大名は、加賀の前田家・萩の毛利家・薩摩の島津家を称していわれるが、いずれも見事な墓である。
島津家は鹿児島市内に大きな墓地を所有し、歴代墓が建立されている。
夫婦の墓が一個所に並べられていて、斉彬公夫婦の墓も宝印塔に祀られていた。
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