
江戸幕府第15代征夷大将軍。大政奉還や新政府軍への無血開城など行った江戸幕府最後の将軍。
1837年水戸藩主徳川斎昭の七男として生まれ、1847年一橋家を継ぐ。1866年第15代将軍となる。
日本最高権力者として幕府建て直しに奔走するが、新しい時代の波には勝てず、鎌倉幕府以来続いてきた武家政治を終焉さえた。
非常に変わりやすい性格で優柔普段なのか、評価が変わる事が多く陰では「ニ心どの」と呼ばれる事もあった。
江戸開城後、身柄を水戸に移され、藩校弘通館の一室にて謹慎。
1969年戊辰戦争の終結を受け謹慎を解除。非常に多趣味な慶喜は油絵、狩猟、自転車、カメラ、囲碁、歌謡、放鷹、お菓子作り、能楽など趣味の世界に生きた。
表情に多趣味ではあったが、全てが一級品の腕前だった。ただしフランス語だけは多忙のあまり挫折している。
1902年に公爵受爵。35年ぶりに貴族院議員として政治に携わる。
1913年感冒にて死去。享年77歳で波乱多き人生の幕を閉じた。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
江戸幕府十五代将軍 |
境石 |
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没年齢 |
77歳 |
竿石 |
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所在地 |
東京都台東区・谷中霊園 |
石質 |
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墓の方位 |
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墓のスタイル |
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正面入り口の方位 |
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台座 |
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