
人はどの時代でも自分を見つめ、世界を見つめないと、川の流れのように時代に泳がされる。幕末が生んだ新撰組局長近藤勇も、時代の落とし児だった。板橋の刑場で斬首され、生涯を閉じたが、最後は自分から官軍に身を投じた。あまりにも末路はわびしい。一介の水呑み百姓の倅から、新撰組局長へのスピード出世、明治維新という大きな壁、薩長を中心とする時の勢いには勝てなかった。
近藤勇は、幼い時から剣の道が好きだった。十六歳の時、近藤周斎に見込まれ、養子となり剣術家の道を歩みはじめた。成長して幕末の風雲に出逢うのだが、沖田総司、土方歳三らの盟友がいなかったら、新撰組の局長にはならなかっただろう。天然理心流の剣術を修行していた仲間と語らって風雲告げる京の町へと上っていった。これが運命のいたずらだ。
“今日はだれを斬った。明日はだれを殺す”の日課の新撰組、いうならば人殺し稼業の日々だった。鬼より怖い新撰組、血で京洛を染めた新撰組局長近藤勇、京での終末は兇暴性すら感じさせる。
しかし、近藤勇の生涯に華を添えるのは、<英雄色を好む>のたとえどおり、彼を巡る女性たちである。本妻は不美人だったが、京の都では、派手な芸者遊びをつづけ、子供まで産ませている。
墓は、武蔵(現・三鷹市)の片田舎に建立されていたが、今は当時の面影はない。
![]() |
|
墓地所在地は、変更になっている場合があります。
トップページへ戻る |