1868(明治元)年岡山県に生まれる。父は宇垣の生後没して、母の手で育つ。
陸軍士官学校を第一期生として優秀な成績で卒業する。その後、参謀本部員、ドイツ駐在武官を経て、陸軍省軍務局軍事課長となる。
清浦圭吾・加藤高明・第一次若槻礼次郎内閣の陸軍大臣。
大正デモクラシー運動の軍縮要求に対応して4個師団を廃止(宇垣軍縮)、代わりに軍隊の近代化を進め、学校教練制度や青年訓練所制度を実施し、軍部による国民統合への道を進めた。
1929(昭和4)年浜口雄幸内閣陸相、陸軍内に宇垣閥を作り、1931年青年将校らによるクーデター未遂事件「三月事件」の黒幕となる。
同年、朝鮮総督。1938年近衛内閣の外相兼拓相。つねに政権首班に擬せられながら、結局それが実らない「政界の惑星」的存在であった。
戦後、1953年に参院選挙に出馬し全国最高点当選し緑風会に属した。その後まもなく、1956(昭和31)年死去。
自らの胸像がある宇垣の墓。やりたいことをして生きた証ともいえる。
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