1885(明治18)年高知県に生まれる。陸大卒業後、ドイツ・スイス駐在、歩兵第3連隊長などを経て、陸軍省軍事課長に就任する。
皇道派の中堅幹部として活躍し、軍事調査委員長として二・二六事件に直面することとなる。
事件後、統制派に敵視され、支那駐屯混成旅団長など在外勤務が続く。第二次世界大戦に伴い、第25軍司令官としてマレー作戦を指揮し、活躍する。作戦を短期間で終わらせ、「マレーの虎」の異名で知られた。
シンガポール占領において英軍との降伏会見で発した「イエスかノー」はあまりにも有名である。
敗戦後、戦犯として逮捕され、フィリピンにおける戦争犯罪の罪を問われて死刑判決、マニラで軍人として屈辱的な絞首刑に処せられた。
明るく大らかな性格だった山下将軍の人物像を物語っているような墓である。
しかし、中央にこつ然と祀られ、手前に墓誌があるところが無念の死を意味しているようでもある。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
昭和時代の陸軍軍人 |
境石 |
初段34cm・二段15cm |
没年齢 |
61歳 |
竿石 |
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所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
花崗岩(白) |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
普通 |
正面入り口の方位 |
南 |
台座 |
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1987年現在の資料に基づいております。