
多くの悲劇を生んだ慶応四年(明治元年)の国内統一戦である。新政府軍による討藩戦は、鳥羽伏見の戦いにはじまり、征東するのだが、江戸は無血開城する。しかし東北諸藩は反政府の立場で頑張り続けた。東北二十五藩によって結成された“奥羽列藩同盟”と新政府の激烈な戦いとなる。
維新前、戦いで散った戦士たちの墓所は、荒れ果てて顧みる人が少ない。型の多くは“トキン”型。碑名には、官軍、秋田藩と姓名が刻んである。
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