
すでに明治に入ってからの討幕戦。会津藩は、老齢、少年を含めた凄絶な戦いを繰り広げ、数々の悲劇が生まれた。
その中でも白虎隊の物語は特に痛ましい。
明治元年八月二十二日、激しい雨の中を食糧も持たずに出陣した白虎隊は、翌二十三日の戸ノ原口の戦いに敗れ、退却。やっとの思いで鶴ヶ城を見下ろす飯盛山まで辿り着く。
しかし、そこで見たのは城の炎上だった。藩主松平容保が、敵を近付けないために城下に火を放ったのが、白虎隊には落城とうつったのだ。
十六〜十七歳の少年たち二十名は、もう自刃しかないと思い込み、壮烈な死を遂げた。
うち一人が川へ落ち、付近の農家の人に助けられたため、そのいきさつが現在まで語り伝えられることとなった。
幼くしてこの世を去った若い戦士たちの、自然石でぶち切って作った感じの墓々が哀れをさそう。
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