
父は武士の道を全うするために討死し、孤児となった又兵衛は黒田孝高(如水)に養育された。
代々武勇の家柄に生まれたこともあってか、黒田家の家臣として“黒田の後藤か後藤の黒田か”といわれる程の活躍をした。
しかし、孝高の子である長政とはうまくいかず黒田家を去ることになる。
その後、乞食に近い暮らしをしながら流浪するが、豊臣秀頼に召し抱えられ大坂城に入城し、大坂の陣で活躍した。
忠義を重んじる又兵衛は、家康の招きにも「東方お手弱ならばともかく朝日の出る如き勢い。大坂方は落城が目に見えているので」と応じず、
ついに道明寺河原の戦で伊達軍と戦い討死した。
又兵衛の墓は、夫婦と長男が中央に祀られている。
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