
宮本武蔵が、人物的に脚光をあびたのは、吉川英治の小説の『宮本武蔵』が登場したからだといって過言ではない。それまでは愛好家だけの武蔵だった。その武蔵の残した『五輪の書』が、欧米で日本研究の教科書的役割りをしているという。父は無二斎(竹山城家老)で剣術指南役で、十手の名人だったという。末っ子として生まれた武蔵は、生母を幼くしてなくし、七歳で父をなくし、義母に去られ、孤児のような淋しい人生のスタートだった。親の愛を知らずに育ち、生まれながらの漂泊の人生を歩いていた。飯にありつかねばならない、そのために故郷を捨て、身を立てたのである。十七歳にして関ヶ原の合戦に西軍宇喜多勢に加わり敗走。それから彼の武者修行がはじまった。彼が武芸者として知れわたったのは二十一歳、京の名流吉岡清十郎一門と一乗寺下り松の決闘からだとされている。彼の生涯は「剣弾一如」であったし、捨身の二刀流は彼によってなされた世界だった。
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