
『戦国の奥羽にあって六十二万石を越す領地を支配した伊達政宗。いまでも瑞厳寺に残る政宗像を見ると、独眼で恐ろしく凄味のある姿をしている。武芸に秀で、知謀に優れ、記憶力と注意力は抜群であったという。父は政宗の才を見抜いていたが、母は弟の政景を愛していたという。十九の時、父が部下に毒殺され、政宗も母から狙われ、このため弟の小次郎を叩き斬るはめに陥ってしまった。
関ヶ原の戦では徳川家康側につき、江戸幕府成立後は仙台藩六十二万石の大名となった。秀吉・家康の死後も立派に仙台藩の地位を維持し、東北が生んだ英傑の一人に間違いない。加賀島津、萩毛利と並び称せられる外様大名の雄であった。六十九歳の生涯を全うし、死の際には家光が政宗を見舞ったという事実もある。
墓は、第二次大戦中に直撃弾を受け、三十年近くそのままだったが、現在は修復され、廟型式の墓として祀られている。なにやら秘密のある世界を物語っているようだ。
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※番地等不詳のため、墓地の詳細は不明です。
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