『曾我兄弟』『忠臣蔵』とならんで、日本の三大仇討ちの一つに数えられ、講談や小説で有名な『伊賀の水日、三十六人斬り』の主役が荒木又右衛門である。又右衛門は伊賀の国出身で、大和郡山藩の服部という武家の養子となる。彼の妻の弟に備前岡山藩渡辺数馬という武士がいた。数馬の弟、源太夫が同僚の河合又五郎に殺されたため、数馬は弟の仇討ちに行くが、そこに又右衛門が助太刀をして、伊賀上野城下の鍵屋辻でみごとその目的を果たした。これが寛永十一年(一六三四)十一月の『伊賀の水日、三十六人斬り』である。が、この三十六人斬りというのは誇張で、後世のつくり話。実際は、河合方の総勢は二十人で、死んだのは四人である。又右衛門が倒したのは、又五郎の叔父の河合甚左衛門と槍使いの桜井半兵衛の二人。又右衛門は半兵衛の家来には木刀で腰をしたたかに打たれているが、これが真剣ならば命はなかったわけである。
墓は、破れかぶれの巨大な自然石。又右衛門にふさわしい墓だ。
|
墓地所在地は、変更になっている場合があります。
トップページへ戻る |