
浅井家は代々近江(滋賀県)小谷の領主。長政は十五歳で元服すると、翌年には父・久政に代わって実権を握った。
長政が武将としての器量をみせたのは十七歳。それまで臣下の礼をとっていた近江観音寺の豪族・六角義賢を破り、琵琶湖の南を勢力下におさめた。それから三年後には美濃大垣(岐阜県)に進出。五〇〇の兵だけで一万余の斎藤竜興の軍勢を一蹴した。
この長政の前に立ちはだかったのが織田信長である。長政は、信長の妹おいちを娶ることで表面上は和睦するが、六角義賢や越前(福井県)の浅倉義景らと通じて、信長打倒の機会をねらっていた。
元亀元年(一五七〇)六月。ついに長政は近江姉川で信長・徳川家康と正面衝突し、手痛く敗れた。これが原因で翌年の八月二十九日、勇将長政は自殺する。まだ二十代の若さであった。
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