
宗矩は、柳生新陰流の開祖、柳生石舟斎宗巌の五男として生まれた。徳川家康の兵法指南役として召し抱えられ、関ヶ原の合戦では、大和で大阪方の情報収集にあたり、その功により柳生の旧領に二千石を与えられる。さらに、秀忠・家光と三代に渡って将軍の兵法指南役を努めた。政治的な手腕にもすぐれていたため、家光の信任も厚く、寛永九年(一六三二)には幕府総目付に任じられ、のちには一万石の大名となった。
権勢に携わった男の墓である。父親よりも大きい墓を建てるところが、彼の性格の一部を語っているような気がする。
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