
義元は駿河・遠江・三河を領地とする代々の大名であった。
足利将軍家に繋がる家系を、何よりも誇りにしていた。万事に公卿風を好んだといわれている。
居城駿河城を、京都室町御所を移設したかのように造り、自らを「御所様」と呼ばせた。
頭は総髪、口には鉄漿をふくみ、歌合、蹴鞠に興じたという。しかしそれだけの大将ではなかった。
目指すは天下。義元は四万五千とも言われる大軍を率いて、上洛を開始した。
隣国にはようやく尾張を治めたばかりの弱冠二十七歳の織田信長がいた。
自信満々の義元は、次々知らされる戦勝に、桶狭間で兵を休め、自身も敷皮を敷かせて、京への夢を追っていた。
桶狭間のような山間の狭い湿地に陣を張ることに、家臣は反対したが、義元は耳を貸さなかった。
そこに「生か死か」をかけた信長が奇襲をかけた。
くつろいで酒宴まで張っていた義元は、野望を断たれて敗死してしまった。
織田の毛利新助に首をとられ、その口には食い千切られた新助の指があったという。
首塚になっているため墓はないが、廟の型で墓所となっている。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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