第一高等学校卒業後、東京帝国大学理科大学植物学科に入学。
八高教授をへて南満州鉄道株式会社の教育研究所に転任し、大連に赴いた。
この満州で南満州フランテン泥炭地から古ハスの実を採集し、研究することになる。
南満州鉄道株式会社の命により、米国のボルチモアにあるジョンスホプキンス大学に留学した。
米国では植物生理生態学の研究のほかにフランテン出土の古ハスの実の研究を続けた。
米国の新聞に「500年生きた古いハスの実の発芽に成功」と報道されたことにより、
米国で大いにもてはやされ、ボイス・トムソン植物研究所に招かれたりもした。
戦後、千葉県滑川出土(約1千年前)と検見(けみ)川出土(約2千年前)のハスの種子の発芽に成功。
1952年、検見川出土のものは開花し「大賀ハス」として知られた。
著書「ハスとともに六十年」(1965年)。
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