

長野県下高井郡日野村出身。
1905年上京し、島村抱月の書生となる。
1912年東京音楽学校本科卒業。
東京都浅草の千束小学校音楽専科教員となる傍ら作曲を行う。
島村抱月が松井須磨子らと旗揚げした「芸術座」に参画し、1914年(大正3年)トルストイ『復活』公演の劇中歌『カチューシャの唄』を作曲。
松井須磨子が「復活」の劇中で歌ってヒットし、流行歌や童謡の分野で成功するきっかけとなった。
作品は「波浮の港」「出船の港」「てるてる坊主」「砂山」「雨ふりお月さん」など哀調をおびたものに傑作が多いが、
「鉾を収めて」や「証誠寺の狸囃子」のような明るい歌もある。
日本の俗楽旋律に基礎をおいた純粋に日本的な歌曲の創作で独自の境地をきりひらいた。
1944年日本音楽著作権協会理事長、1948年同会長となる。
代表作は『しゃぼん玉』『てるてる坊主』『あめふり』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』『鞠と殿さま』など、
枚挙にいとまがない。他に『砂山』『波浮の港』『東京音頭』など。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典・ウィキペディア(Wikipedia))
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