

武野紹鴎は、信長の時代の和泉国・堺で、茶の湯の中心人物として活躍していた。
茶の湯に初めて“侘び”を取り入れ、千利休ら次の世代に深い影響を与えた。茶の湯だけでなく、連歌や禅宗にも通じ、才能豊かな人物だったようである。
晩年は、京に居を定め茶人として暮らした。
墓は一風変わっていて、竿石の中央が空洞になっている。京都大徳寺にある利休の墓も師と同じような墓だ。
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