

中山みきは、大和国山辺郡三昧田村の庄屋の長女として生まれた。
両親が浄土宗の熱心な信者だったせいか、みきも信仰心が篤く、尼になりたいという希望を持っていたが、善兵衞と結婚。
人並み以上に良く働き、中山家の嫁として尽くした。
そんな普通の主婦だったみきが、四十一歳の時に突如神懸りして自ら「天の将軍」と名乗り、世人の救済を任としてはじめたのが天理教である。
次第に信者が増すと共に迫害も多くなり、明治になってからは官憲の迫害を受けるが、屈しなかった。
困っている人達には手当り次第に施し、裕福だった中山家は左前となり、近所の笑い者にもなった。
それでも決して政治権力におもねることはせず、自分を貫き通した一生だった。
さすがは天理教の初代教祖墓である。人を教化・支配する典型的な墓である。
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