明治十六年、松山市大街道に生まれた安倍能成は、幼い頃から神童と呼ばれていた。東大の哲学科に進学してからは、カント哲学を研究し、「西洋哲学史」「西洋道徳思想史」などの著作ものこしている。
教育者としては、一高教師から一高校長、戦後になってからは文部大臣や学習院長などを歴任し、教育に一生を捧げたといってよいだろう。誠実な彼の人柄を慕う人は多かったようだ。平和運動の発展にもつくし、「平和問題談話会」の結成時には発起人となっている。
やはり哲学者の墓として西田幾多郎とともに風格のある墓である。
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