

賀茂真淵は、浜松の神官の家に生まれ、両親の寵愛を受けるが、
両親も老い先短かったところから養子に行ったり実家に戻ったりと、一度ならず他家を転々とした。
青年期に、京都の荷田春満に師事して国学をおさめたが、春満の死去により一旦故郷に帰ってから、江戸へ。
『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。
真淵の学者としての名はどんどん上がり、門人は三百人を数えたという。
伊勢参宮の折に、宿に本居宣長が訪ねてきて入門したという有名なエピソードもある。
しかも実際に会ったのはその時一度きりで、後は文通のみという師弟関係だったそうだ。
晩年は学者として大成し、隠居所を福王寺にたて心を澄まし素朴の生活を楽しんだ。
墓は、樹木が多い。墓所の入口が正面でないのが変わっている。
|
墓地所在地は、変更になっている場合があります。
トップページへ戻る |