
吉川英治氏の小説『宮本武蔵』の中で、宮本武蔵の師匠として描かれている沢庵和尚であるが、残念ながらそういう事実はないそうだ。
天正元年(一五七三)出石に生まれ、十歳で浄土宗に帰依し、十三歳で禅宗に転じた。二十歳まで独学で求学求道するが、師と共に京都に出る。貧乏にあえぎ、法衣が一枚しかなくて法事に行けなかったということだ。禅の峻烈さを希求してやまず、出世して大徳寺に入るが、野僧たるべくたったの三日で出てしまった。
紫衣事件で流罪となるが、三年後に赦されて江戸に帰ってきてからは、将軍家光の信任を得て、品川の東海寺の開山に迎えられた。東海寺を終の住処とし、「葬式をするな、墓をつくるな、香典はもらうな、死骸は焼かずに山に埋めて二度と詣るな、法事をするな」などの、壮絶ともいえる遺言を残している。
墓は樹木が多く、庭園墓といった雰囲気で苔が生えている。
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