

封建的色彩の強い京都画壇にあって、生涯正式な師弟関係を持たず自由人としてふるまい、晩年は素朴で明るい画風に達した。
明治二十五年、大分県の文房具店の長男として誕生するが、中学生のときに画家を志して京都に出る。
京都市立絵画専門学校を卒業後、帝展に発表した『雪』『鯉』などで注目され、『漣』で日本画に新しい世界をひらいた。
伝統を重んじながらも、近代的な感覚を巧みに取り入れ、独自のスタイルを築いた日本画家である。
昭和三十六年には文化勲章を受賞している。
作風を思わせる清楚な墓だ。
先祖の墓より小さく建立されているのは、氏が驕り高ぶらなかった人柄の証しであろうか。
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