浮世絵から出発した江漢は、三十歳以降で画家としての名声を上げた。『三国景』が代表作で、最も名高いのは『日本名勝図』である。新しもの好きで、天明三年には日本で初めての腐蝕銅版画を創作した。そして油絵に熱中し、西洋風の表現様式を積極的に取り入れた。平賀源内を知ってからは天文・地理もよくし、六冊の著作がある。
十四歳で父を亡くし、母に育てられた。厳しい母で、三十歳頃まで妻を迎えられなかったという。生前に死亡通知を送ったり、隠れ住んでみたりと、かなりの奇人ぶりだったようである。
墓は、戦災で竿石が二つに割れて転がっていたという。傷だらけの墓である。
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