

日本初の女子留学生として渡米したのは、彼女が満七歳の頃だった。
当時(明治四年)としては、いや現代でも七歳ぐらいの年少で、外国にひとりで留学させる親がいるだろうか。
帰国したときは日本語を忘れ、仕事もなく大変な苦労をしたが、自分の生涯の事業は、日本の女子高等教育開拓の分野にあると考え、
父や、協力者と力を合わせ、女子に専門教育を教える最初の学校、女子英学塾(現津田塾大学)の創立を図った。
彼女が三十六歳のときに結婚話を断った上でのことであった。
それから約二十年、今日も小平にある津田塾大学は、日本で女子教育のトップクラスの大学に仕上がったのだ。
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