
『群書類従』は、国史、国文の最大の資料である。
正編五百三十巻、六百六十六冊。他に目録一冊。続編千百五十巻、千百八十五冊という大叢書は、四十年間に及ぶ努力と苦心の結実であった。
七歳で失明、十五歳で江戸に出て、盲人の修行として琴や三味線を習ったが、不器用でおまけに勘が悪く、どうしても上達しなかった。
将来に不安を抱いた彼は、自殺を図るまでに追い詰められたのだった。
しかし保己一には、異常と言えるほどの記憶力があり、理解力と判断力にも優れていた。
彼の師は賀茂真淵らに学ぶようにとりはからったという。按摩の治療代として秘書を読んでもらうほど、学問に没頭した保己一であった。
『群書類従』の他にも、水戸藩の『大日本史』の校正や、公式の和学講談所の設立、『武家名目抄』の著作など、広く活躍した。
その思いを「身にあまるめぐみある世は/よむ文のすくなきのみぞ/なげきなりける」と詠じている。
いまや知る人ぞ知るといった感のある保己一の墓。右奥に小さな五輪塔、中央に本人の墓が建立されている。先祖よりも立派な墓だ。
戒名 |
和學院心眼明光居士 |
玉垣 |
- |
職業 |
江戸後期の国学者 |
境石 |
35cm |
没年齢 |
76歳 |
竿石 |
102cm |
所在地 |
東京都新宿区・愛染院 |
石質 |
灰色 |
墓の方位 |
西南 |
墓のスタイル |
竿石が太くて短い奇型 |
正面入り口の方位 |
西南 |
台座 |
1段・高さ40cm |
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1987年現在の資料に基づいております。