

徳田球一は、鉄の意志を持った“おじさん”かと思うと、さにあらず、ユーモアを持った政治家だった。
ある意味では故吉田茂と好対照であった。議会で演壇に登る途中、吉田首相の座っているそばを通りながら、コブシを振り上げて、
「吉田さん、今日はやりまっせ」とおどかしてみせ、降壇のときは「どうだ、参ったでしょう」といったという。
沖縄生まれの日大卒、社会運動家で弁護士、大正十一年日本共産党を組織し、昭和三年捕らえられ、
十八年間の獄中生活を終え、昭和二十年釈放された。ただちに党を再建して、書記になるが、
今度は二十六年マッカーサー書簡により追放、地下に潜ったが、その後中国に密航し、北京で客死した。
墓を見ると、自然石が“デン”と据えられている。自然石で建立された墓は、情熱家、鉄の意志を貫く人に多い。まったく彼にふさわしい。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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