
世界最強の磁石鋼を発明、日本の金属学を世界的なレベルに引き上げた。彼は、従来の顕微鏡や熱分析が主であった金属学に、磁気分析という方法を考案。その他物理学的方法も導入して、金属物理学を確立した。本多は、粘り強い根性の研究者であったという。夜十一時過ぎまで研究室にこもり、弟子たちにも勤勉であることを要求した。「学力も大事だがなあ、努力の方がなお大事だわなあ」というのが口癖だったそうだ。
彼は教育者としても熱心だった。一人一人にテーマをあたえ、「これをちゃんとやれば、世界の学界がびっくりするわなあ」と言う本多に、弟子たちは張り切ったという。
少年時代の本多は、身体は大きいが成績は良くなかったという。向学心に目覚めてからは、猛勉強家、実験の鬼に変身。留学中の下宿屋で「光太郎は実験が忙しくて死ぬ暇がない」とまで言われたそうである。
墓は、一人一人が俗名墓で建立されていて、本多家の歴史を見る思いがする。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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