
世の中で秀でた人は、自己の逆境を克服して磨き上げた人が多い。曹洞宗の開祖もその一人である。
道元の思想は難解だと言われているが、世俗を離れて厳しい修行を要求する教えは、武士層に受け入れられた。
道元の母は絶世の美人だったといわれている。これが母を苦しめた。義仲の妾になったり、
二十歳も年上の通親との間に宿したのが、道元だった。その父も三歳で失い、八歳で母を失っている。
幼い時から道元は無常を感じとっていた。これが、求道者として宗教生活に入るきっかけだったといえよう。
十三歳の時だった。比叡山で天台宗を学んだのちに、宋に渡った。大陸仏教にふれ、師栄西と出逢い、そして禅の道へと足を踏み入れた。
帰国後は、叡山僧から迫害を受けたが、自己の立場を宣言して弟子たちと越前永平寺に赴き、修道生活に励んだ。晩年の道元は京に帰り、京で死去した。
墓は、今でも京都の尼僧たちが護り続けている。
「女性は救われない」という説教を悪魔の説教として否定し、女性の成仏こそ、むしろ真の仏の願いであるとした道元。
母の苦しみを和らげるつもりの一生だったのであろうか。
戒名 |
- |
玉垣 |
無 |
職業 |
鎌倉中期の禅僧 |
境石 |
無 |
没年齢 |
53歳 |
竿石 |
93cm |
所在地 |
京都市円山 |
石質 |
軟石系 |
墓の方位 |
西南 |
墓のスタイル |
変型宝塔 |
正面入り口の方位 |
南東 |
台座 |
2段・高さ90cm |
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1987年現在の資料に基づいております。